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元始めに神

In the beginning God created the heaven and the earth.

始めに神が天と地とを創造された。

旧約聖書の創世記1章1節の言葉です。

今朝、ラジオで「進化論」のことが話されていました。

聖書の事も紹介されていて、アメリカやヨーロッパでは、進化論が自由に教育出来なかったことが

紹介されていて、空気や文化が人を作ったような内容の本の紹介でした。

放送を聴いていない人もいらっしゃるでしょうが、聴き捨てならない?結論になってしまいそうなので

議論する気はありませんが、「元始(はじめ)に神」について書き残します。

中学の頃になると進化論を習います。子供の頃は、どっちでも良いのです。しかし、中学になると

テストで答案を書かなければなりません。小さい頃に習った、教会学校に出てくるお話と学校の

授業がぶつかるのです。

ケニアでは、公立小学校、中学校、高校などでも段階的に聖書が教えられているそうです。

世界に出てみれば、パーセンテージとしては、進化論と聖書の教え、全く逆になることも

あるのです。

中学の理科の先生は、答案用紙の裏になんでも書いて良いと言ってくださり、なぜ、月が

あるのか、太陽があるのか、それがバランスよく保たれているのか?を書き連ね、創造の神が

おられるに違いないことを書きました。答案には、一生懸命学んだことを書きました。ほぼ100点

の解答でした。大学の試験でも100点を取りました。ミッションスクールでした。奇跡とか天地創造を神話のように解釈することへの挑戦がありました。合理的に、聖書が語る事では無く、私たちが思うことを、感じることを優先する危険への挑戦です。

神様が人間を御創りになられた。

幼い子供たちに、都会のど真ん中の公園で、紙芝居をしながら話した時の事です。

『人間がサルから人間になった?誰だそんなことを言ってるやつは、人間は神様が創られたに

決まってるだろ。呼んで来い!!!そんな出鱈目言ってるやつ〜。』と言った内容でした。

幼い子供でも真理はわかるのです。

中学生になった子供たちへ話した時。

『やっぱり、そうだったのか。』という感想をもらした人がいました。

もし、聖書の天地創造の部分を神話としてしまったら、人間は、どのようにして生まれたのか

最後までわからなくなってしまいます。

私の恩師はおっしゃいました。

『俺のご先祖様がサルだって?そんなの俺様の尊厳がゆるさない!』名言です。

聖書を読むサルは見たことがありません。人工知能が発達したら、ロボットが永遠を思うのでしょうか?そうは思いません。たとえ、そのようなことが始まったとしても、人間が神によって創造されたとの事実は変わることがありません。なぜなら、聖書がそう言っているからです。

本当の科学が、科学ならば事実に近づくので、やはり、神が人間を御創りになったのだという

結論に達する筈です。幼い子供たちや、聖書を真っ向から信じていた人々は、だから、ず〜と

前から言たでしょと言うのです。

しかし、それも聖書がそのことを教えて下さっていたからなのであって、その人々が別に

偉いわけでもありません。聖書は、神様からのプレゼントであり、宝物のような物。神さまから

全人類に当てて書かれたお手紙です。

ただ、先に知らされただけの事です。

時計の作者がいるようにとの説明に憤慨しているのかも知れませんね。作者は、しかし、

人間の説明は不十分でも真実は一つです。最初に記したように議論をするつもりは

ありません。

恩師に出会わなければ私の考えも揺らいだままだったかも知れません。

今は、感謝するばかりです。

そのことを、重々知っている悪い存在もあります。

そのことを、知っているからと言って、どのように生きるかとかで変わってきます。

神様などおられない。おられるはずが無いと言いたくなるような辛く目を覆いたくなるような

厳しい現実があることも事実です。しかし、そのことさえも、神が人間を創造された事を全く

ひっくり返すことは出来ません。聖書が宣言しているのです。『はじめに神が・・・』と。

同志社を創設された新島襄氏は、この箇所を通して信仰の道に入られたとか。

人間が、神によって創造された事。その人間が、動物や花や木や自然界のあらゆるものの

名付け親になっていったこと。それら、創造された一つ一つの物を組み合わせ色々な物を

作り出す、想像の力を与えられていること。などなど思うところは尽きませんが、今日は

これまで。